これからは不完全なモノが価値を生む!と思った僕なりの話

こんにちは やす です。

今朝見た記事で、「将来的に、不完全な人のほうが価値を生みやすくなるんだろうな~」っと思ったことについて、ちょっと話してみたいと思います。

今朝見た記事は、こちらの記事で、

“ギリギリ”や“境界”への挑戦が、オルタナティヴな未来には必要だ:東京ミッドタウンとアルスエレクトロニカが協働する「未来の学校祭」|WIRED.jp

ギリギリ(境界)をテーマした、アウトかセーフかわからない境界を形作られたアート作品展です。

例えば、170年前に作られた古いソファを1本の脚で立たせた作品なんで、それはコンピュータ制御で立てられており、いつバランスが崩れるかわからない均衡と崩壊の境界に挑
んでいる作品などが展示してある、ギリギリを創り出した作品展。(面白そうで見に行きたいっす♪)


詳細情報 : http://www.tokyo-midtown.com/jp/event/school_future

この展示会は、これはこれで大変興味があったのですが、今回は特に興味があったのが、先程の記事に掲載してあった、

しかし、「不完全性」にこそイノヴェイションの秘訣があるかもしれない。なぜなら、最適化とは現時点での最善のアプローチでしかないからだ。わたしたちが未来を生きていく上で重要なのは、寛容性や創造性であり、最適化された世界からはみ出すために「エラー」が有効な手段となる。

引用先:https://wired.jp/2019/02/01/school-of-the-future-ws/

というところです。

ほんとそうだと思います。

これまでの時代は、人が行うことへの正確性がすごく求められていました。しかし機械化が進み、これからますますAIが、世の中に進出していく時代において、正確性は昔ほど価値を持たなくなってきていると思うんです。

だって、機械の方が、AIの方が、人よりはるかに正確だからです。

そんな今や、そんな未来が予測された時代において、これから比較的社会的価値を持ちやすいのは先程の記事にも書いてあったように、「不完全性(不完全な人)」が重要になってくると思うんです。

その不完全な人とは、その人にしかもっていない感性だったり、その人にしかもっていない感覚であったり、機械のように正確に作業をこなすことができないけど、機械にはないオリジナルの感覚(感性)をもっている人のことで、そんな人が比較的価値を生みやすくなってくるんじゃないかな~っと思います。

だからこそ、経験や、そのときに感じたことをしっかり感覚として止めておくことが大切なんじゃないかな~っと思うわけなんですよね。

僕の子供にも、いろいろな体験をさせてあげたい。そして感じれるようにいろいろと大人の視点からも話してあげたい。そう思うんですよね。

世の中の価値って、ある意味でギリギリのラインだと思います。

つねに無いものが必要で、満たされたものは必要とされなくなります。その必要性が常に振り子のように動いているんですよね。

そんなことを思った今日の記事でした(^^)

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